2013年3月17日日曜日

原子核物理学者のハインツ・シュミタル氏のインタビュー


ドイッチェ・ヴェレ 2013年3月12日付
ドイツのグリーンピースのメンバーで
原子核物理学者のハインツ・シュミタル(Heinz Smital)氏のインタビュー
Deutsche Welle 12.03.2013
Smital: „Immer noch stark kontaminiert“
本文はこちら:http://www.dw.de/smital-immer-noch-stark-kontaminiert/a-16655560


フクシマの原発事故から2年、ドイツのグリーンピースが新たに放射能測定を行った。線量はまだとても高い。核物理学者のハインツ・シュミタル氏がドイッチェ・ヴェレとのインタビューに応じ、福島近辺での危険での生活がいかに危険か、語った。
シュミタルさん、先日福島とその近辺で放射能測定をなさいましたが、どのような結果に達しましたか?
シュミタル:放射能は今もまだとても高いです。福島市には約30万人の住民がいますが、ここには子供たちが遊ぶ公園でもまだ強く汚染されているものがあります。測定値は地面で測ると、原発事故前の200倍です。住民が揃って避難したゴーストタウンで、かなり大がかりに除染作業が行われましたが、そこでは放射線量が下がっていないことを私たちは確かめました。放射線はしっかり地面に入り込んでいるのです。除染作業で20%から50%はよくなったかもしれませんが、それでも線量は高く、とても人が普通に住めるような状況ではありません。
それでも住民がそこに帰還することになっているようですが。
そうなのです。私たちは、この住民が避難した地域に集中して、そこでかなりのエネルギーを使って放射能を森や道路から減らすように努力するその試み自体を批判しています。これだけの手間をかけるなら、すでに住民が住んでいる場所でおこなうべきです。そこには今も住民が住んでいるのですから! そこでこそ、放射線量は低くなるべきです!  それで人々たちもずいぶん助かることでしょう。人々が放射線量の高い地域に帰って、普通の生活が可能だ、ということには非常に懸念があります。
福島の人々はどのように反応しているのですか?
私たちはいろいろな人たちとそこで話をしました。そして日本人がとても土地に対し深い結びつきを抱いていることを学びました。彼らはそこで何世代にもわたって暮らしてきたのです。でも、日本人はまた同時に、とても強い。彼らは泣き言はいいませんが、しかしとても苦しんでいます。できれば前の生活を取り戻したいと誰もが思っている、しかしそれができないのです。
住民たちは官庁から充分に健康に関するリスクについて説明を受けていますか?
ここでは健康に対する危険性はかなり軽視されています、それは克服できない課題だからでもあります。その地方全体、山々、川、海岸をすべて除染することなどできません。今試みられていることは、住民たちに、高度な放射線を受け入れさせることです。そして彼らを不安にさせないために、影響はない、と言っているのです。そういう意味において、原発事故の被害者たちは、再び被害者になろうとしているのです、放射線量に高い場所に住むことを余儀なくさせられる、ということにおいてです。
では、日本政府がこれらの人々たちに充分なことをしてないというお考えですか?
総合的に見て、人々は見捨てられています。賠償金をもらうために、何十ページもの申込書に記入しなければならないのを、私は見ました。ほとんどの人たちは、その形式上の手間があまりにかかりすぎるため、あきらめてしまうのです。粘って闘い続ける力も彼らにはありません。私は、弁護士を雇ってこの2年間に1万5千通の手紙を書いたという男性に会いました。しかし、他の人たちにはほとんど、こうした力はありません。それをうまく利用しているのが東電で、こうして賠償金の支払を節約しているのです。
福島で普通の生活が可能になるまで、あとどれだけかかるのでしょうか?
チェルノブイリでの原発事故後の経験があります。何十年もたった今でも、線量はほとんど減っていません。線量は、主に自然の放射性崩壊で減少します。ということは、放射線は30年後に半減するということです。福島地方はこれから数十年はまだ高線量が続くとみなさなければなりません。これほどの規模の事故を制御しようとするのが、いかに見込みのないことか、これでわかります。原子力というものがどれだけ恐ろしいものかということもこれでわかります。ドイツが原子力から撤退したことは正しいことであり、原子力には世界中で終止符を打たなければならないこともです。
ハインツ・シュミタル(Heinz Smital)氏は原子核物理学者で、ドイツ・グリーンピースの原子力専門家である。

2013年3月15日金曜日

医師団がWHOの隠蔽行為を非難


ドイッチェ・ヴェレ(Deutsche Welle)2013年3月11日付
医師団がWHOの隠蔽行為を非難
Ärzte werfen WHO Vertuschung vor 
本文はこちら:http://www.dw.de/%C3%A4rzte-werfen-who-vertuschung-vor/a-16653046

フクシマ原発事故後、日本でのガン発生数が増加している、と核戦争を防止する国際医師の会は語る。しかし世界保健機関は先日、警戒の解除を宣言したばかりだ。

最初の兆候を与えたのは出生の空白である。日本では2011年末には、統計から期待される数よりも出生件数が約4000人分少なかった、と語るのは核戦争を防止する国際医師の会(IPPNW)のメンバーで小児科医であるヴィンフリット・アイゼンベルク氏(Winfrid Eisenberg)だ。「被ばくが原因でたくさんの胎児が胎内で死んでしまったと予測されます。胎児は放射線に一番弱いのです」。エイゼンベルク医師はフクシマ事故の、ことに子供たちにとっての結果がどれほど劇的なものであるか、語る。事故後充分にヨー素剤が配られなかったため、福島県の児童の3分の1で甲状腺に結節やのう胞が見つかっている、と彼は言う。このような変形は成人にはあまり害がないことが多いが、子供たちにとっては甲状腺がんの前兆である場合が多いという。「これから数年のうちにもっとガンの発生件数が増加するものと考えられます」。

WHO:「福島県外では危険性は高まっていない」

WHO世界保健機関ですら、福島の事故原発周辺の高線量地域ではガンの発生率が高まっていることを認めた。しかし、日本のそれ以外の土地に対しては警戒を解いている。WHOの代表は「この地方以外ではガンの発生率が高まるとは思われない」と声明を出したのだ。しかし「この報告は、事故の結果を過小評価するために行われている」と、エイゼンベルク氏は考えている。IPPNWでは、直接被害を受けた地域以外でも危険性がどれだけ高いか算出した。原発事故を原因として、日本では6万から12万の人間がガンになる可能性がある、という。それに加わるのが直接、事故の被害の後始末に携わる1万8千人の労働者で、彼らの発病率はきわめて高い。「日本はとても広い面積で被害を受けているのです」と結論付けるのはIPPNWの医師、ヘンリク・パウリッツ(Henrik Paulitz)氏だ。

原子力機関と「不利な契約」でさるぐつわをはめられている?

原子力に反対している人たちは、WHOがもともと偏向的だと考えている。それは、WHOが国際原子力機関と協定を交わしているからである。この協定で、どちらの団体も、「どちらかの側が実質的な利害を持つ、または持つ可能性があるテーマに関しては、必ず相手側に助言を求める義務がある」。原子力批判者はこれで、WHOの放射線のリスクに関する報告に対して、原子力機関が実質的に拒否権をもっているのと同じだ、と解釈している。IPPNWのメンバーであるエイゼンベルク氏はこれを「さるぐつわ契約」と呼んでいる。WHOは、この契約が自分たちの組織の独立性を制限するものではないとしている。

IPPNWは冷戦中にソビエト連邦とアメリカの医師たちによって設立され、原子力兵器の廃棄、紛争防止、原子力エネルギーからの撤退を求めて運動している。昨年、IPPNWでは原発事故を招いたのは津波ではなく、地震だったということを結論付ける技術的研究を発表した。だからこそ、この執筆者たちは次の結論を述べている:「原発は、地震が起きるほかの地域でも極めて危険である」と。

2013年3月12日火曜日

図書紹介『闘う区長』


『闘う区長』
保坂展人 著 集英社新書刊 700円+税

保坂さんは教育のなかで起こる不条理問題を提起し、裁判で闘い、著作もだしてきた後、1996年から3期11年間、衆議院議員として国会にいた人だ。社民党の衰退に伴って議席を失ってしまった。私たちの国会行動の窓口になってくれていたので、お世話になった人なのだ。その後もずっと国会での活動を目指しつづけてきたという。それが、2011年の3・11の大地震のあと、遮断された交通網をくぐっての東北支援に奔走し、帰京したすぐそのあと、世田谷区の区長選にと請われ、いきなり選挙戦に突入、ということになった。それまでの国選でオカネは使い果たしていたし、準備期間もなかったが、区民の中からの熱烈な応援をえて、4月24日に思いがけず当選してしまったという。

世田谷は人口88万人で小さい県に相当するくらいの区。前の区長は28年間もその席にいた。議会で彼の支持派は50人中10人でしかなかった。長年にわたって敷かれたレールをすべて否定しては何事も進まない、と判っていた新区長は95%は従来どおり、あとの5%は私の考えで、と宣言してスタートしていった。国会議員時代に養われた政治の勘、経験、人脈などが、有効に発揮され、5000人に及ぶ区の職員と無駄な摩擦を起こさず、お互いに知恵を出し合える道を作っていけたようなのだ。若手のグループからの新企画が軌道に乗ったり、双方向発信の「区長のメール」欄をホームページに設けたり、学校給食の食材の放射線量を測定できるようにしたり、と次々に5%が動きはじめる。

国会ではたくさんの質問が出されても、各閣僚がそれぞれの分野で答えるが、区では区長一人ですべてに回答を出していかねばならない。その責を軽減するために副区長をつくる。外部の専門家などでなく、区職員のなかから建築・土木分野から、福祉分野からと2名を選んだ。よけいな波風を立てずに、より効果的な仕組みにしてゆく。曖昧な妥協ではなく、決断すべきときには時間をかけずにさっさとする。行動が柔軟で、決断力もあるように思える。

区長立候補時の最大の公約は「脱原発」で、そのためにも知恵を砕いてあれこれと進めている。東電の値上げ通告に抗議だけでなく、ブログを使って抵抗したり、PPS(新電力)の導入を図ったり、照明器具を変えたり、小さなことでも工夫実行する。世田谷区にたくさんあるものは、「屋根」だそうで、太陽光発電の普及を画策している。PPSの電気が需要の増加で不足がちだが、被災地相馬市などで自然エネルギー基地を作って東京へ、というような案があると知って、「産地直送エネルギー」構想も模索している。

彼は「日常のひと時は、住民は首長に命を預けているつもりなどないだろう。けれど、あの3・11の状況を考えればよく分かる。いざなにかが起きた場合、首長の判断が、人々の命や安全に大きな影響を及ぼすことになる。」と言っている。欲に目が眩んでない首長を選んだ世田谷区民に敬意を表したい。そして羨ましく思う。

(凉) 
反「改憲」運動通信 第8期18号(2013年2月20日発行、通巻186号)

図書紹介『阿武隈共和国独立宣言』


『阿武隈共和国独立宣言』
村雲司 著 現代書館刊 1200円+税

昨年暮れの選挙の結果が覚悟をしていたとはいえ、あまりの数字にすっかり落ち込んでしまった。その国の民度に相応した政府しかもてない、とは幾度も思い知ったことではあるけれど、ずっとつづけてきた「もの申す」行動が無慚に踏みつけられた思いで、立ち上がりにくい年迎えだった。

この国には居場所がない、と絶望的になっていたとき、書店で目に入ってきたのが、「…共和国独立宣言」の背表紙だった。えッ、なんかいい国だったら私も住民にしてもらえないだろうか、と飛びついた。この列島国は、西欧のように国境を走り抜けて脱出する思想がない。学生時代の怠惰が祟って、ナニ語もカニ語もできない。できたとしても、見回すところ是が非でも行きたい国もない。政治や放射能から一切目をつぶって道楽に走るしかない…なんてヤケになっている矢先の「独立宣言」である。著者名をみれば、運動をつづけてきた仲間の一人ではないか。

「独立国」構想のスタートは、新宿駅の「スタンディング」からで、この行動ももう10年になるという。「スタンディング」のことを知らないでいた人にはこの本をぜひ読んでほしい。各地で取り組まれている住民の反権力運動などでも、独自の工夫で生まれた抗議の表現方法を記録や口伝えで知ることができる。真似たり真似されたりして行動を豊かにしてきたものだ。雑踏の新宿駅、かつてベトナム反戦のフォークソングで賑わい、弾圧された忘れられない特別の場所に、ただ黙ってプラカードを持って立つ。1時間と制限された中で立つ。この形を想像するためにもこの書を読んでほしい。毎土曜日、10年だ。

この「スタンディング」の仲間の間から生まれたものに、金曜日毎に行われる「官邸裏行動」がある。「前」ほど知られていないが、官邸にはぐっと近い。ごく少人数で、オマワリのほうがずっと多いくらい。そこで会う「スタンディング」の人や、長年「反原発」をやってきた仲間と、「人数が減ってきたね、私たちはしつこいね」と語り合っている。

肝腎の独立国に関しては、「極秘事項」なのでここでは多くを語らないでおくが、ホンの少し。この国民になるには年齢制限がある。私はそれにはゆうゆう合格する。なにしろ阿武隈は放射能値が高いから、若い者は入国できない。憲法は日本国憲法の第一条を除いたものをそのまま使う、という。国歌は「夢であいましょう」、国旗は「一銭五厘の旗」(国というと、ウタやハタが必要なのかな?)。

胸がすくのは宣言が日本のマスコミ陣を忌避して、「日本外国特派員協会」でおこなわれることだ。このほかにも、「殆どの場合、被害者」であるわれわれの抗議行動を監視、弾圧してきた警察・公安警察に対する怒りや、不審が各所に満ちていて、長い年月、さまざまの行動を懲りずにつづけてきた者どうしに判る怒りがちりばめられている。

結論として、誰かの造る国ではなく、自分で、自分が住みよい国を造るべきなのだ、というのが私が読後到達した地点である。さて……。

(凉) 
反「改憲」運動通信 第8期15号(2013年1月16日発行、通巻183号)

「国旗に一礼しない村長」で考える


「国旗に一礼しない村長」で考える


去年(2011年)の3・11直後からノダやエダノらが、記者会見などで壇上に昇るとまず、飾ってあるヒノマルに姿勢を正して一礼するのを、テレビでたくさん見せられた。その行為を見慣れることができないで、毎回不愉快になった(毎度年寄りらしく声までだした)。単なる布キレや、写真に礼をしなければタダではすまなかった時代を経験した者にとっては、あの行為は悪夢のように感じられる。戦争に負けて、ああいう意味がないことを強制されない時がきたことを、子ども心にもすっきりうれしかった。

それがいつのまにか、同じことをしているのを見るようになったではないか。自分も子どもも学校に行かなくなっているし、役所にも所属していないから、まだあの姿勢を強制されてはいない。二度と強制されたくないあの動作を、大臣や首長というのは、当然のようにできるようになるのか。しかしそのうち、「オイ、コラ!」と街中のヒノマルにお辞儀しないことを咎められるようなときが来るのではないか、と予感されてならない。祭日にヒノマルを各家ごとに出さないと町内会から叱られる時代がきたらどうしよう。

今年の(2012年)9月21日の『朝日新聞』(性懲りもなくまだとってる!)朝刊のオピニオンという欄に、長野県上伊那郡中川村村長・曽我逸郎さんのインタビュー記事が「国旗に一礼しない村長」のタイトルで掲載されているのを見つけ、うれしくなって切り抜いておいた。村議会で「国旗についての認識は?」との一般質問を受けた、ということだから、かねて、村長が議場でお決まりの「ヒノマルに礼」をしないでいることを問題視した議員がいたということだと思える。答弁の一部が掲載されているので、長めの引用となるが、お許しを。
私は、日本を誇りにできる国、自慢できる国にしたいと熱望しています。日本人だけではなく、世界中の人々から尊敬され、愛される国になってほしい。しかし現状はまったくほど遠いと言わざるを得ません。
一部の人たちが、国旗や国歌に対する一定の態度を声高に要求し、人々をそれに従わせる空気を作り出そうとしています。声高に主張され、人々に従わせようとする空気に従うことこそが、日本の国の足を引っ張り、誇れる国から遠ざける元凶だと思います。人々を従わせようとする空気に抵抗することによって、日本という国はどうあるべきか、ひとりひとりが考えを表明し、自由に議論しあえる空気が生まれ、それによって日本はよい方向に動き出すことができるようになります。
誰もが考えを自由に表明しあい、あるべき日本、目指すべき日本を皆で模索しあうことによって、誇りにできる日本、世界から敬愛されて、信頼される日本が築かれる。
日本を誇りにできる国、世界から敬愛される国にするために、頭ごなしに押しつけ型にはめようとする風潮があるうちは、国旗への一礼はなるべく控えるようにと考えております。
また、インタビューで答えている中に、
「私が国旗に礼をしない理由を端的に言えば『こういう場では礼をしなさい』『それが大人だ』という雰囲気がいや、ということです。目に見えないプレッシャーは危険な気がします。『まあいいや、これぐらい』と従うことがいやな空気をつくり、長い目で見たら怖い結果につながりかねない。……」
 「憲法前文で『全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する』とし、『国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成すること』を誓ったわけじゃないですか。それをなおざりにし、周辺国の脅威をあおり、軍事力を増強し、さらには沖縄県民が基地問題で迷惑をこうむっても我慢してもらおうという姿勢です。『そうは言っても……』と、現実を前に妥協してしまっている。問題点と理想の間をどう埋めるかという努力をしていないのです。」
村のホームページに掲載した主張に対しての批判について、
「……提起した問題そのものについてより、むしろ『公私を分けろ』『立場をわきまえろ』といったものが多いんです。匿名が目立ちますね。国旗の件については『敬意は和を生み出す尊いもの』と書いてきた方がいました。それは、1937年に当時の文部省がつくった『国体の本義』にある『和』の考えに似ている。それぞれが身分や立場をわきまえ、分を忠実に守ることによって、美しい和が生まれると書いてあります。」
「広告会社で働いていたころ、しきりに『和』を口にする上司がいました。批判されるとか、部下からいろんな意見が出てくるのがいやな人でした。ダイナミックな変化が怖い人ほど『和』と言うんです。」
彼はもと「電通」社員であった経歴の持ち主で、「学生時代に、原発施設での被曝労働者の話を小耳にはさんでいたことがあります。そんなものの宣伝をするわけにはいかないと思ったんです。だれにも越えられない一線があるじゃないですか。それをしてしまったら、自分を許せなくなってしまう気がしたんです」と、電力会社の担当になるのを断ったいきさつが紹介されている。その後すぐ辞めたわけではなさそうだが、やがて電通を退社したらしい。どういう経過があって中川村の村長さんになったのかはわからないが(長崎県出身)、活動家でも、政党人でもないようなのだ。

主張をみると、日本国が誇るべきものになってほしいとの願いがあるみたいで、いわば「愛国者」の一人といえよう。私は広い意味に取っても、「愛国」「国を誇りに思う」という考えは嫌いだ。でも今、そのことは少し置いといて、彼が言う、「ひとりひとりが自由に考えて」をたいせつにしたい、だから、押しつけて従わせるのはダメだ、と主張していることに賛意を呈したいと思い、ご紹介したくなった。

よその首長は公の場で高い所に登ってハタがあると、当たり前のように礼をするのが圧倒的多数だろう。内心、「国を象徴するハタだから、それを尊び、忠誠を誓います」なんて考えてはいないだろう。ハレの場所に立てる自分を誇りに思い、いい気分の真っ最中ってところではないか。そういう慣例を破って、曽我さんははっきり「礼をしない」と行動で示し、村のホームページにも意思表示している。その姿勢は、あっぱれな村長さんで、やはりうれしい。

フクシマの事故以降、大小の首長の態度に不審を抱かざるをえないと感じることがちょくちょくある。率先して原発を誘致した張本人なのだから、当然の行動かもしれないが、放射能値がまだ危険範囲なのに、村民、町民に帰村・帰宅をしきりに促すのは何故か。子どもの健康診断の結果を保護者に全開示しないのは何故か。そもそも放射能値の数字のごまかしがどうして行えるのか。これこそ「大罪」ではないのか。国からの指導・命令ももちろんあるだろうが、地元の人を守らないで何のための首長なのか。たぶん、もし村民が戻らなかったら、村がなくなり、自分の晴れの舞台がなくなり、折角のいい椅子に座れなくなってしまうことには我慢ならないからではないかと疑っている。情報に拠れば、フクシマ辺の首長は東電の関係者、親類をもっている者が多いという。事故を小さく小さく見せようとの魂胆の底の暗闇は小さい卑しい根性の巣なのかもしれない。

卑しいといえば、なにかのオープニングなどで、ズラリと並んだお歴々が銘々鋏を渡されて一斉にテープをカットするシーンがテレビによく登場する。公のハコモノ落成式などでは必ずその地の首長が真ん中に立つ。私は「式」と名のつくものは全部お断りだから、一人でやればいいというのでは元よりないが、制服のような黒服を着た男どもが何人も並んで数センチずつ紅白のリボンをカットするなんて恥ずかしい、屈辱的だ、と思わない神経には呆れる。あまりにも破廉恥で幼稚な行動ではないかと、見ている側の方が恥ずかしい。こういうヤツラはハタにお辞儀するのも誇らしいわけだ。

私が好きなような人が政治家になることは殆ど考えられない。でも歴史を播けば、こういう人の村で生きたい、と思える人物は案外いるみたいだ。昔の小学校の終身の教科書に「稲むらの火」という、津波来襲を村民に報せるために、高台に住む村長さんが、刈ったばかりの稲に火をつけて、それを見た村人が火を消すために村長さんの家を目がけて登ってきて、皆助かった話が載っていた(この話は事実とは違うという説もあるが)。

最近読んだ帚木蓬生さんの『水神』では、自分の生命を賭けて筑後川に堰を作り、水不足の苦労から農民を救う庄屋さんたちの経緯を知った。費用は庄屋全員で分担、もし失敗したらアレに架けるぞとの脅しの磔台が庄屋の人数分、現場に揚げられている怖ろしい話だった。労役にでた農民は磔台を庄屋さんが見守ってくれている姿と思おうとして、辛苦に耐えたということだ(成功して胸撫で下ろしたが)。

首長ではなく県議であったが、あの田中正造さんもいる。足尾の人々と自然をまもるために闘いとおし、それでも銅山の公害を止められず、県議を辞して天皇に直訴状を書いた。その行為はあの時代文字通り生命がけのことだ。

そんなに遡らないでもモト福島県知事だって、フクイチの危険に途中で気がついただけでもよかったし、三春町長さんはフクイチ爆発のあと、独自の判断でヨーソ剤を配布したと聞いている。地域のためにがんばります、と言って当選しても、してしまえば自分の栄誉のために地域を使うようになる人が圧倒的に多い。

ハタに当然のように礼をするのが首長の栄誉と義務になっている中、「私はやらない」ときっぱり言う中川村村長曽我さんは、やはりすごいと思う。他の「長」からは聞いたことがない。

もうじき選挙で、噂ではいちばんなってほしくない人が国の首長になるそうだ。この雑誌が形になるときにはもう結果がでている筈。憲法を変え、軍隊を組織しなおし、教科書を自分の好みのものにすると公言している。ハタやウタがもっと蔓延るかと思うと、早く死にたい。イヤダイヤダ。
(凉)
『運動〈経験〉』36号(2012.12)より

2013年3月10日日曜日

さよなら原発ベルリン


「さよなら原発ベルリン」での
Thomas Dersee(トーマス・デルゼー)氏の演説

放射線防護専門誌「放射線テレックス」を発行(去年は日本を訪れ市民測定グループを支援して、その報告を放射線テレックスでも発表、その報告の拙訳は2012年12月に当ブログに掲載)しているThomas Dersee(トーマス・デルゼー)氏が、2013年3月9日にベルリンで行われた「さよなら原発ベルリン」のデモで短い演説を行ったが、その際通訳する光栄に恵まれた。短い中に公共のモニタリングポストをめぐる問題や児童の甲状腺異常、除染など、今日本が抱える問題とともに、暖かいメッセージがこめられているのでここに発表したい。ベルリンでのデモの様子については、ベルリン在住のジャーナリスト梶村太一郎氏のブログをご覧ください(http://tkajimura.blogspot.de/)(ゆう)



お集まりの皆様、友人の方々


日本の福島県で原子炉事故が起きたのは2年前のことですが、
今その福島を訪れると、福島市の駅前には、公共のモニタリングポストが立っています。このベルリンでよく見かけるパーキングメーターと似た様な形で、太陽電池がついていて、日中は現在の放射線測定値がディスプレイに表示されます。

しかし、自分でガイガーカウンターを持っている人は、それよりも公共のモニタリングポストの方がずっと低い線量を表示するので、不思議に思います。そして、どうしてそうなのだ、と尋ねると、これは別に特別なことではなくて、どこでもそうなのだ、という答えが返ってきます。日本の市民イニシアチブや地方自治体の代表などがシステマチックに検査した結果、わかったことです。

始め、アメリカの会社が試験的にモニタリングポストを設置したところ、ずっと高い放射線量が表示されたそうです。「これでは値が高すぎる、変えることはできないか」と日本の環境省が文句をつけたところ、その会社はこう答えたそうです:「いや、それはできない、モニタリング装置というのは測定するためにあるのだから」と。そこで、今度はアメリカの会社に代わって、モニタリングポストの設置が日本の会社に発注されました。日本の会社は環境省の要望に対し、ずっと理解を示したというわけです。

官庁はこのようなモニタリングポストを、3000台以上、福島県全体や近接する地方に設置しました。これらのモニタリングポストが公の線量測定の拠点となっており、平均で、実際の放射線量の3分の1から2しか、表示されません。これは日本国民にはかなり一般に知られている事実です。それなら、どうして官庁はこんなことをするのでしょうか?

このモニタリングポストが出す測定結果は、WHO世界保健機関などの国際的な機関に提出されます。これを受けてWHOは先週、「日本国内外の一般市民に対して予測されるリスクは少なく、ガン発生率が目に見えて増加するとは考えられない」という声明を出しています。「線量がもっと高い地域に限り、わずかながら増加が予測される」、そうも言っています。

しかし、WHOの人たちももちろん馬鹿ではありません。彼らだって、その測定線量が正しくないことは知っているのです。でもどうしてこんな汚い手口を使うのでしょうか?

日本の市民を安心させようという魂胆だって、そこにはあるのかもしれません。しかし、彼らがこのようなメッセージを届けたい本命の相手は実は、海外にいる私たちのような人間なのです。彼らは、私たちにこそ信じさせたいのです、原子炉事故があったがそんなにひどいことはない、そんなに急いで原発を止める必要はない、とそう思わせたいのです。たとえドイツやフランスでこのような原発の事故が起きたとしても、どうにかなる、と、そう言いたいのです。

日本の人々には、事実はもっとはっきりしています。事故が起きてから2年経つ今も、16万人以上の人々が、避難所、仮設住宅などで暮らしています。この人たちのほとんどが、高線量地域からの避難民です。昨年は甲状腺の検査が約8万人の児童・若者を対象に行われましたが、そのうち、40%以上で甲状腺の異常が見つかっています。そして今まで検査を受けた子供たちの数は、まだ半分にも満たないのです。

これまで151人の児童が二次検査を受けました。そのうち、10人に甲状腺がん、または甲状腺がんの疑いが見つかりました。甲状腺がんというのは、通常では100万人の児童に一人か二人しか発生しないものです。

昨日公表されたところでは、福島県からかなり離れている青森県、山梨県、長崎県でも、検査を受けた子供たちの60%に結節やのう胞がみつかっています。

児童のほとんどは、2年後でないと、再検診が受けられないことになっています。それは、フクシマの研究チームの責任者が説明したことですが、必要となる小児甲状腺の専門家をまずこれから養成しなければならないので、あと2年かかる、というのが理由だそうです。

公の政策は、高線量から避難してきた人たちを、また故郷に戻そうというものです。そうなれば、帰る人たちはみすみすモルモットになってしまいます。

また、多大な労力とお金が、生活環境を除染する作業に費やされていますが、これはやってもやっても終わりのない作業です。周りを取り囲んでいる山や森から、どんどん新しい放射性物質が住宅地域に舞い落ちてくるのですから。それに、放射性物質に汚染された土はどこに持って行けばいいのでしょうか?除染作業をしても、放射能を別の場所に移動するだけであって、なくすことはできないのです。

技術の進んだ日本のような国なら、こうした問題も乗り切れるはずだ、と思うのは、単なる希望的観測に過ぎません。官庁が最初に行ったことは、被ばく線量限度を切り上げておいて、これでも健康には問題がない、と主張することでした。

現在では、100以上の市民イニシアチブグループが独自の測定器を備えるまでになりました。彼らは、食べ物を通じて放射性同位体を体内に取り込むのを少しでも低く抑えられるようにと、食品の放射線汚染を測定しています。または各地での除染の試みをチェックし、人体軟組織の等価線量やホールボディカウンターによる全身の被ばく線量などを測定しています。そして彼らは、高線量の地域から子供たちを一時的にずっと南の方や北の方に疎開させる企画なども組織しています。

日本にこれだけ自分たちの意志で行動している人たちがいるというだけで、私には希望がわき、状況はひどくてもこれなら大丈夫だろう、と思えるのです。この市民たちは、できる限りの支援が与えられて当然です。私たちは、募金という形で支援することができます。そしてことにドイツでは、原子力などなくても平気だ、ということを示していかなければいけません。

御拝聴、ありがとうございました。