2012年9月2日日曜日

2012年8月23日付ツァイト紙


2012823日付ツァイト紙

先週のツァイト紙の特集は「エネルギー政策転換」について。フクシマ事故の後すぐに脱原発を宣言したドイツは、現実的なエネルギー政策を講じなければならないが、持続的な再生可能エネルギーによる電力供給比率を増やしていき、稼動中の原発を次々に停止していくと、電気代が上がる、という声がすぐに経済界から飛び出す。また、脱原発を決定したドイツでは電気代が上がる、ということが日本で「やはり原発は必要」との例に引っ張り出されるほどだ。このツァイト紙の特集では、電気代というのはどのように出来上がっているのか、実際にはなにが電気代を「上げて」いるのかについて報告している。ドイツでの例だから完全に日本にあてはまらないにしても、政治が「値段」を決めているのは、どこも同じのようだ。日本にとっても重要なテーマなので、ちょっと長いが翻訳することにした。翻訳し始めて、メインの記事も興味深いが、その関連の短めのコラム3つの方が具体的な数字と例を出していて、読みやすいと思い、そちらを先に載せる。(ゆう)
本文はこちら:http://www.zeit.de/2012/35/Gruene-Energie-Energiewende-Kosten

エネルギー政策転換にかかる費用はどれくらいか

「緑は高い」というのが一般の偏見である。しかし、緑の電気が増えても、電力生産のコストにはあまり差がないというのが本当のところである。「あまり」というのはただ、数字に置き換えにくい。電気技術連盟(VDE)に所属するエネルギー技術協会は、それをちょうどしてみたところだ。この協会では、2050年には電力の5分の4が再生可能なエネルギー源から生み出されなければならない、という連邦政府の目標に合わせて計算した。

結果はこうだ。キロワット時の発電コストは0.6セントくらいしか上がるはずがない、というのである。これは今と比べ、10%にも満たぬ増加だ。2010年、つまりフクシマの事故が起こる前、そして脱原発の時期を早めるという決議がある以前に、再生可能エネルギーによる電力は、すでにほぼ発電量の17%を占めていた。石炭と原子力発電は約65%だった。これらの大型発電所で発電をするのにかかる費用は、キロワット時7.8セントだった。このうち3分の1は燃料、3分の2は、これら発電所設備を維持するために毎年必要となる投資額だった。市場価格はすべてのコストをカバーしなかった。

古い技術だけにすがっていると、燃料コストが上がれば電力はどんどん高くなる。それに比較すれば、電力が緑であればあるほど、発電コストは安い。太陽も風も無料だからだ。燃料費はゼロということである。

VDEの書いたシナリオでは、投資額の高さと投資の構成は、再生可能エネルギーの比率が40%になればもう変わってしまう。ことに資本のかかる核エネルギーがなくなるので、投資の費用がやや下がり、まだまだ市場を支配している従来の発電に必要な燃料の購入費用が増える。結果として、発電コストは上がるといっても、0.1セント上がってキロワット時7.9セントになるだけである。そして緑の電気の比率が80%になっても、同じ論理でいけばキロワット時8.4セントになるだけで、結局発電費用は今日と大して変わらないことになる。

この予想にはどのような計算が含まれているのだろうか?VDEによれば、出力を同じとして集中型風力発電やソーラーパネルはどんどん安くなる一方で、石炭やガスの発電所の費用は大体横ばいのままだという。石炭やガス燃料費は長期的に見れば2倍に増えるだろう。だから緑の電気を増やすということは、ある意味でコスト増加に対する保険とも呼べるのだ。

それで、不定期に生産される緑の電気を一時的に貯蔵しておくためにかかる費用についてはどうか? 確かに、緑のエネルギーが一度大きな割合に達すれば、電力貯蔵施設が必要となる。VDEによれば40%以上になったとき、である。しかしこれにかかる費用は、すでに計算の中に含まれている。

それではエネルギー政策転換のために新設が必要な電力網にかかる費用はどうか? 400億ユーロの投資がこれから先10年の間にかかり、電気料金をキロワット時ごとに約0.7セント上げることになるだろう。ただし、この費用を、全電力網使用者が同様に負担することを前提とした場合である。

それでも、発電にかかる費用の増加は、一定の枠内であるといえる。しかし注意が必要だ。費用と値段は同じではない。卸売業では需要と供給によって値段が決まる。それに、税金、電力網使用料金などが加わる。

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一番多く払わされているのは誰か?

再生可能エネルギー法で国は、再生可能なエネルギーによる電力をつくる者に2つの特権を与えることにした。1つは、作り出した電力を必ず買い取ること。2つ目は、再生可能なエネルギーで電力をつくる者が、電気消費者が支払う固定価格をキロワット時ごとに得ることである。この価格はライプチッヒにある電力取引所で支払われる料金よりずっと高価である。
料金は20年間保証されているが、その値段は技術、設置場所、設備の大きさによって異なる。その上、風力・水力・太陽・バイオガス・地熱などの発電設備が操業を開始した時点によって報酬高は変わる。たとえば太陽光発電の場合は地上に設置された風力発電からの電力より高く、新しい(効率のよい)太陽光による電気は、旧型の設備で作られた同じ太陽光による電気より安い。「屋根の上でできる電気」が2007年にはキロワット時ごとほとんど50セントで買い取られていたのに対し、今ではそれがたったの19セントだ。風力発電設備を所有している人は、その半分である。
電力のパラドックス:新しい設備で作られた再生可能エネルギーはどんどん安くなっていくのに、平均して買取値段は約18セントまで上がった。
どうしてか? 重要な理由の1つは、ついこの間まできわめて高額な補助金を受け取っていた太陽発電装置の成功である。緑の電力量のうち、太陽光電力が占める割合は、2007年には5%だったのが20%以上に増加した。これが値段を吊上げただけではない。以前から残る金銭的な負担はなかなか帳消しにならない。20年にわたって買取保証をするといった約束を国が撤回しない限りは。

緑の電力に対する保証額は今では、合計で数百億ユーロに膨れ上がってしまった。取引市場で電力は安くなり、差額が残る。何箇所かで訂正しても、去年は130億ユーロが残った。この残った金額を電力消費者が負担しなければならないのだが、その負担が平等ではない。

すべての消費者がキロワット時ごとに同様に料金を払うのであれば、EEG分担金は去年、約2.5セントだったはずだ。しかし実際は3.53セントだった。この大きな違いは、いったいどこから来るのか、言い方を変えれば、払わないのは誰か? 実際、ことに大きな産業の電力大消費者が、この法律から例外の特権を受けている。世界市場で不利にならないように、という表書きだ。何百という企業がこの特権の恩恵にあずかっている。

企業が節約する分を、その他の消費者が負担しなければならない。ことに一般の家庭だが、公共の施設や特権を受けられない企業もそうである。政府の発表によれば、彼らが負担しなければならない額は20億ユーロ以上増えているということである。

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もう1つの関連コラム

「グリーン」は価格を上げるのか?

緑の電気の思いがけない効果は、市民には知らされていない。太陽、風、水が生み出す電力は、電力取引市場におけるキロワット時の料金を低くしているのだ。再生可能エネルギーがなければ、キロワット時料金はほぼ0.5セント高くなるはずである。

これを成り立たせているのは「電力市場での価格形成」だ。これは、価格をできるだけ低く保つ、という非常に簡単な原則に従っている。発電所はそれで、ある特定の順番に稼動することになっている。つまり一番安いのから先に、一番高いものが最後に来る。最後に需要があった電力は、だから常に、一番高い発電所から来ることになる。そのコストが、市場価格を決めるのである。

しかし、ここでいうコストとはいったい、何であろうか?市場の論理では、燃料と温室効果ガス排出の権利(O2削減証明書)を購入する支出しか、問題にされない。発電所を建設するにあたりできた負債から計算するのと違い、これらのコストは変動し、しかも生産高に依存するだけだ。これこそ、電力を売った売上金で必ずカバーしなければならない額であり、そうでなければ電力はつくられなくなってしまう。その他のコストの補填に関しては発電所経営者は、一時的であるにしても、放棄する。借金の利息は、発電するしないにかかわらず、払わなければならないのだ。

緑のエネルギーの市場効果の理由はここにある。緑のエネルギーを生み出すのは、確かに、ガスや石炭などの火力発電所での発電に比べ、全体から見ればまだ非常に高価だが、これは、新しい太陽電池や集中型風力発電の建設費用が高いことだけが理由だ。しかしこれらは一度設置されてしまえば、電力はほぼ「無料」で生産される。太陽は確かに、請求書を送ってはこない。

風力や太陽発電による変動コストが低いので、発電所の投入順序が変わる。安い、緑の電気が、高いガスや石炭からの電気を押しのけるのだ。

研究者によれば、この効果は、毎時キロワットごとに約0.5セントも左右するという。それに相応して、国が保証する再生可能エネルギーの買取価格に対する市場価格の差は広がる。結果として、EEG分担金が増えるのだ。

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そして後回しになりましたが、メイン記事です。本文はこちら:http://www.zeit.de/2012/35/Gruene-Energie-Energiewende-Strompreisluege

電気代にまとわる嘘
──グリーンのエネルギーが高いなど、真っ赤な嘘だ。
  電気料金が高いのは、政治のせいだ。
Lügen auf der Stromrechnung – Von wegen grüne Energie ist teuer.
Die Politik ist schuld an hohen Preisen
マルク・ブロースト、ダグマー・ローゼンフェルト、
フリッツ・ヴォアホルツ著

彼はあと少しでメルケル首相の公約破棄を証明することになる、もうすぐの辛抱だ。その時になれば、彼は首相が公約で述べていた数字とは違う、ある数字を挙げることになる。「純粋に数学的に言えば、もう事実ははっきりしているのです」と彼は言う。ただ、この場合は数学でも、ただの数字でもなく、政府の大計画にかかわる問題なのだ。だからこそ、彼は真実、政治的葛藤の只中にある、といえよう。

というのも、彼こそ、電気料金を決定する人間の一人なのだ。

クラウス・ホドゥレック氏は53歳、電気エンジニアだ。ドイツの電力消費者なら誰でも再生可能エネルギー拡充のため払わねばならない分担金を計算するのが彼である。CDUFDP連立政権が脱原発を決定してから、この分担金こそが「支払い可能な」電気料金の尺度、同時にエネルギー政策転換が成功するかどうかの尺度にすらなってしまった。メルケル首相は2011年の夏に、連邦議会でエネルギー政策転換を宣言したが、その時彼女はこの割増金、いわゆる再生可能エネルギー法分担金のことに触れた。メルケルは、この分担金は「現在の規模」を超えることはない、と公約した。当時の分担金は、3.5セントだった。

あとたった7週間。そうすればホドゥレック氏は新しい分担金の数字を言うことになる。正確な数字はまだ言えない。そしてもしわかっていたとしても、彼は言わないだろう。しかし現実的にはこの割増金は4.8セントから5.3セントの間である。そういうことになれば、50%増だ。

クラウス・ホドゥレックは政府のメンバーでも、行政機関に勤める公務員でもない。彼は高圧電線の操業とEEG分担金計算を任されている4つの企業の1つ、「50 Hertz」に勤務している。1015日には新分担金が制定されていなければならず、ホドゥレック氏も彼の同僚たちも決してそうとは言わないが、政府はもちろんのこと、その分担金の増加ができるだけ低くおさまるようにとプレッシャーをかけている。

このクラウス・ホドゥレックと首相の話を、「数字の男と約束違反の女」の話と仕立て上げることはできる。エネルギー政策の転換はいかに高くつくか、産業界の首を絞め、国民を貧困に追いやる、という話も仕立てることができる。そしてそれも、ドイツでは太陽光発電と集合型風力発電所からの電力量が増えなければいけないと決まっているからだ、と。

しかし、それなら偽りの話になってしまう。

電気料金がドイツで値上がりするというのは当たっているが、この値上がりはまず第一にエネルギー政策転換から来るのではない。EEG分担金の争いの背後に隠れているものがもっとたくさんある。エネルギー政策転換の賛成者と反対者の力争い、新規電力供給者と古参の電力会社との力争いだ。古参の電力会社や彼らの仲間たちにとっては、このエネルギー政策転換を遅らせ、妨害し、方向転換させることが関心事だ。電気料金はこの際、単なる目的を叶えるための手段に過ぎない。

それでは、電気料金の嘘を語る物語をしよう。

この話をしっかり物語るには、少し時代を、1988年まで遡る必要がある。当時科学者たちはEUの要請で、従来の石炭・ガス・原子力発電所でつくられる電気は安すぎるのだということを、初めて詳細に説明した。社会がその事後負担として担わなければならない費用 発電所の排気による環境汚染、または人身の健康に対する危険など はここでは一切考慮されていない、と。これらの損害を料金に上乗せするとすれば、従来の電力料金は3分の1は高くなくてはならない、と科学者たちは発表した。「現在のエネルギー消費者たちは、未来の世代の負担を前借りして生きている」と、1992年に出されたドイツ連邦経済省のプログノス研究所の鑑定書に記されている。

当時の科学者たちの計算を尺度にすると、石炭、ガス、原子力発電からの電気は、今日7セント高くなっているはずだ。それなら太陽、風力、バイオガスとほとんど違いはない。

しかし、当時の政策では、従来のエネルギーを値上げせずに、緑の電力を促進することを決定した。古参の電力会社にケチをつけようとする者は誰もいなかった。それでヘルムット・コール首相率いるCDUFDP連立政権は1990年に電力供給法を成立させ、シュレーダー首相率いるSPDと緑の党の連立政権が2000年にこの法律を再生可能エネルギー法(EEG)に変えた。この法律で、再生可能なエネルギーからの電力供給者には2つ特権が与えられることになった。1つには発電した電気の買取保証、そして第2には、電力消費者がキロワット時ごとに支払うこととなる一定の上乗せ料金を請求する権利。これがEEG分担金の始まりだ。

クラウス・ホドゥレックが計算するのは、ただの数字である。

将来の電気料金を計算するこの男性はがっしりとした体格で、チェックのワイシャツを着こなし、カレンダーに出てくるような格言が発言によく飛び出す。9月の終わりには彼は出した数字をもってボンに出向くことになる。連邦ネット・エージェンシーで彼はほかの電力会社の人間とともに2日間にわたり、環境省の担当者と電力料金の割増の最終的な額を話し合い、決めるのだ。

ホドゥレック氏の仕事はとどのつまり、今後12ヶ月の間にどれだけの電力が再生可能エネルギーから発電されるかに対する予測を行うことである。というのも、それこそがEEG分担金の構造原則だからだ。国家は、緑の電気を発電する者に対し、毎時1キロワットごとに、電力市場で売る以上の金額を保証することになっていて、この市場価格と保証価格の差をEEG分担金が補填する。

パラドックスはここにある。つまり、再生可能エネルギーを拡充していくことが電力の市場価格を下げるため(「緑のエネルギーは価格を吊り上げるか?」の欄を参照)、緑の電気が増えれば増えるほど、EEG分担金が上がるのだ。ということは、再生可能エネルギーは自らの成功の犠牲となっていくわけである。

しかし市場で電力価格が下がるというなら、なぜ消費者はその恩恵を得ることがないのだろうか?単純に計算すれば、消費者の負担は軽くなっていかなければいけないはずだ、大体市場価格の値下がり分は、分担金の増加より多いのである。昨年の分担金の総額は、約135億ユーロに上った。問題はといえば、誰もが平等にこの支払いに参加していないことにある。国は、ことに大企業に対したくさん例外を許している。しかしこれらの特権を受けた企業が払わない分を、特権のない中小企業や一般家庭がすべて、負担しなければならない。それで一般市民の電力料金の値上げが不釣合いに大きくなるのである。

これこそ、今ベルント・トレクセル氏が告訴している不平等だ。

トレクセル氏の会社には彼の祖父が購入した蒸気ボイラーがある。もう62年も前のことだ。彼の祖父は、じゅうたん用の糸を染めていた。孫であるトレクセル氏は、オーバーフランケンにあるゼルプ市で紡績加工の会社を経営し、約140名の従業員を抱えている。過去数年間、彼は新しい機械設備に投資し、性能をよくしただけでなく、エネルギー効率も改善した。会社方針に、「環境という観点は、我々のマネージメントシステム全体の決定・行動構造に統合されています」と書かれてある。しかし、よりによってこの「環境に優しい」方針が、高くつくこととなった。というのは、環境的側面を無視し生産しているその他の企業が「例外」の特権を受けて支払わないでもいいEEG分担金を、彼は払う義務があるからだ。

化学部門や鉄鋼など、エネルギーをふんだんに必要とする企業が国内にとどまるよう、これらの企業はほとんどすべて、EEG分担金の支払い義務から解除されているか、割安にしか支払わなくていいようになっている。それを決定するのは電力消費量(2013年からは年間に1ギガワット以上)と、粗付加価値に占める電力費用の割合である(最低14%)。去年はほぼ600の企業(これは全部で電力消費の20%に当たる)がこの恩恵に浴した。この特典を金額になおすと、20億ユーロ以上に上る。「大企業はこうして、電力の市場価格が低いことでずいぶん得をしているのです」と語るのは、ノルトライン・ヴェストファーレン州消費者センター長であるクラウス・ミュラー氏だ。「電力の市場価格は、一年前と比べてもっと安くなっています」。

紡績加工会社を経営するトレクセル氏は去年、独自の計算によれば121千ユーロをEEG分担金として支払った。同時に彼は、エネルギー節約のためにあらゆる投資をした。効率のよい機械の原動機や性能の高い電灯などである。しかしこれによりトレクセル氏が電気料金を節約しても、その分分担金としてまた支払わなければならない。これを、彼は不条理だと考えずにいられない。さらに不条理なのは、彼がこのように効率のよい、環境に優しい設備に投資しないでいたとすれば、彼の会社は「エネルギーをふんだんに必要とする企業」と認定され、おそらくあまり分担金を払わないでもいいことになっていたはずのことだ。それでトレクセル氏は、電気会社を相手取り、分担金の払い戻しを求めて告訴した。「私は国外に工場を移すことはできません。私の顧客はほとんどこの地域に住んでいて、ここのバリューチェーンの一部なのです」と彼は語る。ベルント・トレクセル氏はエネルギー政策の変換に反対なのではない。彼は、ただ平等性を求めているだけである。

「可能な限り、どの企業も消費者もEEG分担金を払うべきです」と要求するのは連邦環境庁(UBA)の所長、ヨッヘン・フラスバルト氏だ。「そうすれば費用は多くの人間が背負うことになり、分担金も少なくなるでしょう」。

しかし、現実は違う。ベルント・トレクセル氏は、オーバーフランケンにある企業が、休業しているクリスマスから元旦までの間、工場の機械をノンストップで動かしていた話をする。電力消費量を上げ、EEG分担金特権の恩恵に浴するために、だ。ビジネス間ではこういった話が尽きない。しかし、それも不条理な話である。環境に優しい電気の拡充を融資するための分担金を払わずに済むよう、会社は機械を不要に長く運転させ、それで環境への負担を増加させる、というのだ。

このような話を、ベルリンの政界が決して知らないわけではない。なぜ政治は大企業を負担から解放し、一般家庭に負担を押し付けるのか? なぜEEG分担金の構造上の欠陥を受け入れるのか?そして、従来の石炭、ガス、または原子力による電力が安すぎるなら、グリーンな電気を高くする代わりに、そっちの電気をまず高くするべきではないのか?

トーマス・バーアイス氏も、この問題点を周知している。彼はCDUCSU連邦議会の会派でエネルギー政策担当コーディネーターを務めている。クリティカルな問題に関しては、たくさんの人間がその問題を指摘する前に答えてしまう方が便利なので、彼は議員団の仲間に向けて、7月の終わりに警告を発する文書を書いた。「電力料金をめぐる政治的対決は日ごと激化しつつある。この対決で中心的役割を果たしているのが、電気料金におけるドイツ企業の例外事情と、EEG分担金である。」

37歳のバーアイス氏は、エネルギー政策変換においてCDUCSU連合内部でかなり批判的である。彼は、メルケル首相についてまだ公に批判をする、数少ない議員の一人だ。彼の言葉は、不満をそのまま表現している。フクシマの事故から2週間後に彼は連邦議会で、ドイツで原発を引き続き稼動しても、「責任がもてる」と彼は語っている。バーアイス氏はドイツ西南部出身で、彼の選挙地域は農業が多く、それに中程度の企業が多くある。それで彼は、議員団の仲間に向けて、企業を例外にするのを「決してやめてはならない」と書いたのである。

頻繁に、それもすごく頻繁に指摘されるのは、企業の競争力にとって不利だという点だ。しかし、エネルギーをふんだんに使う企業が、必ずしも外国企業と厳しい競争に立たされているわけではない。連邦経済省に1992年に提出されたプログノスの鑑定書にすでに、国内の素材企業にとって、競争力で不利だということばかりを「大げさに指摘し続けるべきではない」と書かれている。連邦経済省のためにおこなわれた現在の調査では、「企業はエネルギー費用が高くなっても売り上げが落ちることはないだろう」とのことだ。それどころか、「エネルギー費用が高い地域でことに」さらに投資をした企業がいくつも観察されたという。

UBAの所長フラスバルト氏はそれで、「そうしなければ国際競争で過大に不利を蒙るような」企業だけにEEG分担金から免除する特権を与えることを要請している。しかし、ドイツの立法機関は別の決定をしてしまった。つまり、エネルギー費用が高くなれば、競争力が落ちる、という簡単な計算だ、と。

それで、グリーンな電力が高いという話が嘘であることが、徐々に明らかになってしまった。それを本当に高くしているのは、政治なのだ。

ヨハネス・ファン・ベルゲンはエレガントな風貌で、大きな鼻、はっきり分けた頭髪が目立ち、髪のグレーは彼が着こなすスーツよりやや明るい。保守的な匂いのするシュベービッシュ・ハル市電気・ガス・水道公共事業企業で、ある種の成功者としての大きさを感じさせる人物だ。「成功以上に成功を感じさせるものはない」と彼は自分を指して言う。彼は、このシュベービッシュ・ハル公共事業企業を22年以来経営し、彼の名はドイツのエネルギー界では有名だ。ファン・ベルゲン氏はドイツコージェネレーション連盟の会長を長年務め、アンゲラ・メルケル率いる大連立政府のためのエネルギー政策白書を書いた人物の一人である。ゲルハルト・シュレーダーが首相だったときは、ファン・ベルゲン氏は首相を公の場で「気がおかしい」とコメントしている。シュレーダーは当時、ファンン・ベルゲン氏の分野には将来性がないと話していたのだ。各市にある電気・ガス・水道会社は今後姿を消し、全国で数社の企業だけがこの分野を牛耳るようになるだろう、と。

シュレーダーの政権はとっくに過去の話になった。しかしドイツの各地にある伝記・ガス・水道会社は、そうではない。全国に1400社もあり、ほとんどの場合で業績はよい。シュベービッシュ・ハルでもそうである。ファン・ベルゲン氏は常に、会社の発展を求めてきた。従業員の数を5倍に増やし、株の割合を増やし、利益を上げてきた。しかし、長年にわたり投資をしてきたこのビジネスマンは、ブレーキをかける側に回った。ジンデルフィンゲン市で彼の会社は投資額75千万ユーロのガス発電所の建設を計画していたが、彼はこの計画を中止した。

彼のことをハードライナー、エネルギー政策転換の反対者と呼ぶこともできる。それは、再生可能エネルギーを拡充しても、ドイツは将来もガス発電所が必要であることにかわりはないからだ。太陽が照らないときでも、風が吹かないときでも、発電してくれるからである。それで、このような発電所建築をやめることでエネルギー政策変換に抵抗するより簡単なことはない、ということなのだろうか。

しかし、ヨハネス・ファン・ベルゲン氏は決してハードライナーではない。彼はただ、綿密に計算をするだけである。そして新しい発電所の建設は彼に言わせれば、現在のところ「不利」なのだ。

ファン・ベルゲン氏の建設停止は、エネルギー政策変換の基本的問題を提起した。グリーンな電力の拡充は実際、どれだけ高くつくのか、ということである。政策変換に反対する人たちは、新しい風力発電や太陽光発電の設備をつくれば、そのたびに費用がかかるから電力が高くなる、と議論するだろう。この議論は、新設備建設の費用を、既存の、電力が独占事業だったころ建設され、とっくに減価償却が済んでいる発電所と比べれば、当たっている。太陽電池や集合型風力発電が高価だという議論がいかにまちがっているかがわかるのは、新しい発電所の費用をそれぞれ比較したときである。すると新しいガスの発電所をつくるのがいかに高価か、わかる。あまりに高いので、ファン・ベルゲン氏が経済的に利があわないと判断するほどである。彼が電力を売ることによって得る金額で、発電コストをカバーすることができないくらいなのだ。彼は「少なくとも20基のガス発電所の建設計画について知っているが、そのどれもが、建設する採算がとれないものばかりだ」と語る。

値上がりする電気料金の話を、まったく逆に語ることも可能だ。つまり、電気の市場価格があまりに安くなってしまったので、新しい発電所が建設されず、産業国であるドイツでよりによって、数年のうちに電気が足りなくなる可能性がある、というものだ。発電所の新建設で緑の電力を求めるのがどれだけ意義あることか、強調することもできる。石炭、ガス、またはウランとちがって、太陽も風も無料だ。現在ドイツで消費されている電力の約20%が再生可能なエネルギー源から来ている。2020年までにはその割合を35%に増やすことになっている。つまり、これをエネルギー政策変換の大きな経済的チャンスと捉えることもできるのである。ドイツは、今後高くなり続けるにちがいない化石エネルギー源への依存性からどんどん脱していく、と。

しかし、このような話をする人はほとんどいない。その代わり、誰もが不安を募る。国の負担が高くなる、エネルギーが高くなりすぎて誰にも払えない、などという不安だ。来年、3人家族の家庭にかかる電気料金の請求書で占めるEEG分担金が、売上税込みで毎月5ユーロを越えることはない、などということも誰も一切言わない。

「電気料金が払える範囲内にあることが一番の優先事項だ」と経済相のフィリップ・レスラー(FDP)は言っている。「社会的平等性もしかし同じ様に重要である。だからこそ、エネルギー費用問題を軽々しく論じることは控えなければならない」と警告するのはCDU院内会派のトップを務めるフォルカー・カウダー氏だ。エネルギー政策変換には金がかかる、それも、ほとんどの人が思っていたよりずっと多くの金が」というのは、CDU院内会派の副団長ミヒャエル・フクス氏だ。連邦政府が脱原発の早期実現を決定したとき、ある言葉が流行った。「高騰エネルギーによる貧困」だ。つい最近、ニュース番組「ターゲステーメン」である若い母親がレポートされた。片方の腕には赤ちゃんを、もう片方には電気の請求書を手にしている。「ミルクびん用のエネルギーはなし」とオフの声が語る。「新しいエネルギーによる貧困」が「エネルギー政策変換の結果」であると。

確かに、電気やガスの請求書を払えなくなるひとも出てきた。消費者センターの予想では、ドイツ全国で6万戸が支払い不可能だという。しかし、この電力貧困家庭は、新しい現象ではない。今の連立政権がエネルギー政策変換を決めるずっと前、2008年にすでに消費者擁護協会が、収入の少ない家庭の電気料金請求書に関する白書を提出し、「金銭的援助の処置、消費者権利の強化、エネルギー効率をよくするための刺激」を推奨している。政府はしかし、まったく興味を示そうとしなかった。

ある意味では、この電気料金の嘘の話は、政治というもののあり方を教えてくれる教材であるとみなすことができよう。新聞の見出しにメッセージがぴったりするものは、簡単だ。そして「エネルギーによる貧困」という言葉は、まったく新聞の見出しにぴったりである。しかし、議論し、説明し、適応しなければならない場合には、もう負け、と見ていいことになる。

ペーター・アルトマイヤーは負けるのが嫌いだ。だからこの新環境大臣は就任後、すぐに挑戦的な態度に出た。彼は、電気料金は高くならざるを得ないだろう、と述べたのである。1015日は「真実が公になる日」だ。アルトマイヤー氏は、なるべく大きめに話しをしたい、できるだけ彼の人柄に信憑性をもってほしい、なにがなんでも期待を裏切りたくない、と思っている。連邦議会議員党派の議会代表をしていた頃からの彼を皆知っている。当時もアルトマイヤー氏はなにかについてコメントするとき、どんなに問題が複雑か語るのが好きだった。そのあとで、解決策をもちだして人をあっとさせる方が好きなのだ。

しかし、今回だけは、彼にもその解決策はない。

来週になれば、それがさらに明らかになるだろう。828日には労働組合、産業連盟や雇用者連盟のトップ役員らが連邦首相官房に集まり、エネルギー政策転換について話し合うことになっている。もともとこの会合は、メルケル首相がごく小さな集まりで、コミュニケーションを「なるべく建設的に」するために、と言い出して計画されたものだという。しかし今では、「電気料金サミット」とさえ言われるほどだ。しかし、なにか新しい進展がここで起こるとは考えられない。

一つには、従来の大手電力会社であるRWEE.onEnBWVattenfallなどが控えている。エネルギー政策転換とは、彼らのこれまでのビジネスモデル、発電事業における彼らの独占支配に対する攻撃でもある。どの市民も発電用の風車や太陽電池のパネルを設置できるということになれば、これら大手の4社の領分が大幅に取られることになる。エネルギー組合や市民による集合型風力発電所、村や町全体、これらが皆、RWEの懐から飛び出してしまうことになる。

大手電力会社にとっては、このような図はたまらない。すでに彼らは市場でのシェアを減らしつつある。「この分野に携わっている人間で、再生可能エネルギーに反対している人間は誰もいません」というのはある電力会社のトップクラスのマネージャーだ。「しかし、だれがそのビジネスを受け持つか、が問題なのです」と。大企業はエネルギー政策転換を、彼らの方法でやっていきたい、つまり、自分たちが風力発電所を建て、バイオガス発電設備をつくって運営したいのだ。それには時間が要る。緑の電気の拡充が、電気料金論争で遅れることになるのは、彼らにとっては有利だ。

しかし、CDUCSUFDPの政府の間でも抵抗がある。ことにCDUCSU連合の中ではもめている。少なくとも議員の3分の1が脱原発に賛成していない、という。議員の中でこのエネルギー政策転換に心底納得している人は、少ないといっていい。彼らは、2013年の連邦議会選挙で、CDUCSUが緑の電力政策をもちだしてもなんのプラスにもならないことを恐れているのだ。それで電力料金サミットでは、エネルギー政策転換の連帯付加税とか電力税の廃止などについて話し合うのがせいぜいだろう。しかしそれらは単なる表面の「化粧」に過ぎない。なぜなら本当の底にある問題はタブーだからである。つまり、従来の電力が安すぎるのだ、ということや、大消費企業の特権、そしてEEGの構造欠陥も、である。再生可能エネルギー法がこのままある限り、緑の電力の供給をほぼ完全なものにする道は、険しいままだろう。

これが、「電気料金の嘘」の物語だ。そしてブロックバスターの映画が常にそうであるように、これにもきっと「続編」が、しかもじきにあるに違いない。エネルギー政策転換の反対論者たちは、外が寒くなりヒーターが必要になる秋を待っている。そうしたら彼らは、電気が足りなくなるという不安を煽るにちがいない。これこそ、ブラックアウト・ブラフ、ブラックアウトのこけおどしである。

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