2012年2月13日月曜日

ドイツ「ツァイト」紙2011年10月27日付

ドイツ「ツァイト」紙2011年10月27日付に、ベルスコーニをめぐるイタリア情勢について、現在注目されているジャーナリスト、ロベルト・サヴィアーノ(Roberto Saviano)の記事が載りました。私がこれを読んでことに驚いたのは、彼が批判的な鋭い眼で観察している内容が、イタリアの状況であるにもかかわらず、それが「イタリア」という箇所を「日本」に置き換えてみてもまったく不思議なくらいに当てはまると思えたことです。
10月末の記事なので、それ以降、ベルスコーニも退陣し、情勢は変わっていますが、日本に対してはまだまだ同じことが言えるのではないかと思うので、それをここに訳します。
本文はここで読むことができます: 
http://www.zeit.de/2011/44/Italien

Die Krise bin ich「危機とは私のこと」
(『国家とは私のことだ』と語ったルイ14世のことばにかけて、訳注)

イタリアの外から見れば、「イタリアの病気」ははっきりしている。外国のメディアは、今ヨーロッパの注目の的である、あまりに重大で解決しないわけには行かぬ大問題として、イタリアの病気について語っている。しかしイタリアでは、見方がまったく違う。政府と野党はどうやらまともに行動を起こす気がないようだ。彼らはベルスコーニの後継者にしか関心がない。そしてそのベルスコーニといえば、絶え間なく続く反対運動にもかかわらず首相ポストを降りるつもりがまったくない。そしてベルスコーニが首相をやることを、イタリア人は望んできた、少なくとも今までに何度もそれは証明されてきたのだ。しかし、2008年以来、情勢は変わった。ことに、権力維持に躍起となる政府が手をこまねく経済危機が始まってからは、おそらく彼の所属するPDL(イタリアの政党、自由の人民)の支持者たちも、である。

ヨーロッパが我々に対して秩序を取り戻せと呼びかける前は、なにがなんでも権力を死守しようと必死な政府にとっては、それより重要で差し迫った問題がたくさんあった。例えば、イタリア国立テレビ放送RAIの監督官庁がワンマンショーの中止を提案した。これは言い換えればこうである。ある特定の人間とのインタビューや芸人(ことに政治や時勢を風刺するような)のモノローグなどには将来、一切番組が与えられないことになる。その代わり、どんな番組やどんな討論会、どんなインタビュー番組にも、必ず反対意見、別の立場を持つ人間を用意するように、というのである。これはしかし、おかしな民主主義の解釈とはいえないだろうか。それでは、まるで本の作家に自分の本の中で自分の意見に対立する観点を述べよ、というのと同じだ。民主主義とコミュニケーションは、アイディアの総体の中から生まれる。政府はしかし、特定のものの見方や分析が持つ強大な説得力を恐れ、それでわかりにくくさせ、戸惑わせ、思考停止させ、ブレーキを踏ませようと応答信号を送っているのである。



あるいは電話の録音内容をイタリアの新聞に載せることを禁じようとする法案が何度も提出されたことでもわかる。ここで政府が守ろうとしていたのはしかし、市民の不可侵のプライベート領域などではなく、恐喝の予防対策である。ベルスコーニが、ある電話録音が公表されないためにかなりの金額を払ったからだ。政府はつまり、世間が電話録音の公開により犯罪に関する情報を得ることを防ごうとしているのである。

この情勢で、野党はまるで骨抜き状態だ。諦めと不信感が今日の時勢を決定していると言える。人々はデモに出かけるが、しかし最終的には不条理にも「予測し、封じ込め、防ぎとめることができなかった」暴力について話し合うだけだ。適当な指示がなければ公安当局も平和なデモ隊をサポートし、暴力に走る者だけを取り除き、脅威に遭う警官を手助けすることも叶わない。数多くの人たちがそこになにか戦略があるのではないかと疑っているが、私の考えでは、ここに反映されているのは衰退期にある国の姿である。誰も怖くて外に出たくないような国。信頼心が何年も前から意図的に破壊されてきた国。誰ももはや自分の行いに関して正当な評価や尊敬も受けず、誰も共同体のために力を尽くさず、単に自分の個人的な利益のためにしか何もしない、そういう国だ。政治的な出来事の一つ一つがどのように分類されるのかははっきりとわからなくても、今日では誰もが自動的に性質の悪い、内密に取り交わされた工作を想定する。政治とは汚く、まったく腐敗していると見るのが当たり前になっているからだ。諦念しかあり得ないと信じきっているからだ。そう思えばこそ、だれも自ら積極的にならなくてもいいし、出来事をこと細かく調べて見ようなどと思わなくてもいいのだ!私たちを選んだのはお前たちだろう、だからお前たちはもうなにもいう必要はないのだ、というわけである。

数週間前、ミラノのあるデモに参加した。このデモを組織したグループが、デモに参加した人全員に、自分がどうしても守りたいと思う権利を横断幕用の布に書くようにと依頼した。私は長く考えた挙句、陳腐に映るのを覚悟した上、「幸福になる権利」と書いた横断幕をもって行進した。自分の人生を創造する可能性、という意味での幸福の権利である。これは基本権だ。まだ政治に少しでも「美」が残っているとするなら、これこそ政治を美しくさせる基本の権利ではないか。

幸福などというのはすごく個人的なことではないか、と異議を唱える人が多いと思う。それはそうだが、その一部はその権利を守ることを義務として掲げる社会でしか実現できない。この横断幕の布は別の布とどんどん繋げ合わせていくことが可能だと思う。そうすることで、たとえ象徴的な意味でしかなくても、一緒になってイタリアを「縫い合わせて」いける。イタリアは、今、とても難しい時期にある。重大な経済危機で瀬戸際に立っている国。しかし政治やメディアは、「危機が訪れるのは確かだが、まだ遠い」と言い放っている。ダムを建設するのに数週間、いや数日しか残っていない、という代わりに。

そしてその証拠のように、できれば暗闇に隠しておきたいような現象に嘲りのように、スポットライトを当てようといわんばかりに、心を揺さぶらずにはいられないようなニュースが耳に入る。それがたとえば南イタリアの小さい町、バルレッタで発見された女性労働者たちの死である。このバルレッタで、とある建物が崩れ落ちた。この建物の地下には、非合法の企業で一時間4ユーロにも満たない賃金で、なんの法的保護も保険もなく働いていた縫い子たちがいた。合わせて5人の女性が死亡した。
南部出身の人なら、不法労働というのがなにを意味するのかよく知っている。職はどうやらもはや、不法な工場でしか見つからないようだ。そしてこれらの工場は最良の品質を誇りにしている。そう、最高品質である。私は、有名ブランドの靴、手袋、シャツ、ズボン、花嫁衣裳、既製規格品、ハンドバック等が不法な会社で信じられないような安い時給で製造される地方の出身だ。ここでは、低賃金で最高品質の製品を生み出すので、不法労働が中国の安い商品からブランドを守っているのだ、という声すら聞く。私の故郷を旅すると、若い女性の不法労働は手を見ればわかる。皮革となめし用タンニン酸を扱っていると、皮膚の深い層まで色が強くしみこんでしまい、どんなにきつい洗剤で手をこまめに洗っても、おちないのである。そして不法労働に携わっている女性たちは決して手を見せない。彼女たちは机の下で手を必ず隠すのだ。

これら5人の女性労働者の死は、才能に対し正当な評価を受けなかった単なる不幸な女性の死ではない。私たちが彼女たちのことを口にするのは、この不幸な事件があったからだけである。しかし、この5人の女性の死をきっかけに、私たちはもっと厳しく現実を見直さなければいけないはずだ。政府が権力維持にしか注意を向けず、野党がベルスコーニ体制に続く時代のことだけを考えている間に、この不法労働こそがイタリアを危機から守っている。つまり、最悪の条件で地下室で働き続ける労働者たちがイタリアを支えているのだ。本能的に人が非難するこれらの工場の経営者たちもまた、仲間の労働者の仕事を組織した、かつての不法労働者であることが多い。彼らだって、同じような悪条件で生活をしているのだ。

これらの労働者も全員が、ウォールストリートからマドリッドまで、ミラノでもローマでも、路上に出て横断幕を掲げ、怒りを表現するとすれば、希望を繋ぐことができるだろう。その希望とは、礼儀など意味がなく、特別な才能も価値がなく、コネと愛顧の方が勤勉や才能よりも影響力が大きい、という見解に抵抗できるという希望だ。私たちがそう思ってしまったら、彼らの勝利だ。彼らとは、言い慣れた気休めの決まり文句を述べる、政府の輩だ。彼等は、こう言う。「我々は誰も皆同じではないか、誰も彼もいやらしい、批判者だって偽善者で、同じことを行い、同じように権力に尽きたがっているだけだ」と。

彼等はそれを私たちに信じさせようとしている。それに対応する唯一の答えは、どんな政治志向を持つ者もそろって大改革に向けて力をあわすことができるという希望だ。本心から願い、自分たちも、そしてヨーロッパのパートナーたちにも示すことの出来る、イタリアをこの泥沼から救おうとする意志だ。

この間スティーブ・ジョブスが亡くなったが、これは単なるビジネスマン、進取の精神を持った企業家、あるいは天才の死というだけではなかった。それだけではなく、この場合はアメリカだが、ある閃きがすべてを変えることができる、その閃きからあらゆる可能性が生まれる場所があるという証拠だった。似たようなケースとして、私にはイタリアでかつて、ジョブスの先駆者とも呼べる人物が頭に浮かんだ。アドリアーノ・オリベッティである。百年前にタイプライターを生み出した人物だ。勇気を失わないために役立つ例を探すなら、オリベッティが実現した夢は、間違いなくそれに相当する。

彼の会社はとてもユニークな構造だった。人事課長は作家で、広報課は詩人が担当し、オリベッティの右腕は文芸評論家だった。この工場の労働者や会社員は仕事の動機だけを考慮して採用されていた。オリベッティは南部、ナポリ近郊のポッツオーリに工場を建て、大成功した。工場で働く労働者のために。海が見渡せる寮を用意した。満足できる人生を送れるなら、仕事の成果も上がる、とわかっていたからである。

短期間でこの工場は全イタリアでももっとも生産率の高い工場となった。ことに、なにもかもがなんの希望も持てないように思われている南部にも、無限の可能性が潜んでいるという証拠に違いない。しかし現在の状況では政治・マスコミが張りめぐらしている壁のせいでそういう可能性を見ることも、反応することも、それについて考えをめぐらせ、論議を尽くすこともできなくなっている。その代わりに政党が解釈する危機の説明をいやというほど耳にするばかりだ。

こうした弱い光の中にあって、一部のインテリたちが風見鶏のように立ち振る舞い、私たちのフラストレーションと不快感を増大させている。彼等はネオシニカルな物言いで、あらゆる改革の意思も、公平性や変革に対するあらゆる努力も、順応の表現であり、善良な人間を追及する安上がりなバリエーションの一つに過ぎない、と言い放っている。そして流血事件や虐殺に至らぬ限りは、これから先も変わらず健康を祝って乾杯していればいいのだ、なぜなら完全に申し分のないものなど決してありえないからだ、というのである。このような考えを彼等はもったいぶって、あたかも独創性あるごとく私たちに言って聞かせるが、実際彼らがしていることはスキャンダルの肩を持ち、自分たちのごますりを正当化し、病気に身を任せ、医者をバカ呼ばわりしているのと同じことだ。

そして、ここにこそ問題点がある。病からの治癒の道を見つけ、ナイーブだとか一時的な感傷癖だと責めずに、自分たちの想像力に信頼を寄せることを、不可能だとみなされてしまうことである。この硬直してしまった、変更不可能に見える日常を前に、いい方向に持っていくことが可能であることを認め、それを実現する空間をつくろうとしていく冒険を試みることを。

ここにこそ今日の挑戦がある。ベターではなくても「別」のイタリアがあり得るということを、彼らに見せつけてやることだ。もうひっきりなしに繰り返される嘘も、脅しも間違いも、いやというほど味わった。私たちは決定的な場所に到達しているのだ。方向を転換するには、チャンスを逃さずに利用する心の準備ができていなければならないし、なにが危険にさらされているのかをしっかり意識して見据えなければならない。彼等はそう簡単に消えはしない、彼等は復讐し、反撃を試みるに決まっているし、泥沼の戦いをしてからでなければ戦場から遠のくことはないだろう。私たちの誰もがそれぞれのやり方でこの戦いに寄与しなければ、彼等は去ることはないだろう。

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